今日は9/16日
申し込んであった
HSK4級と5級の試験開催日でした。
今日HSKを受験された方お疲れ様でした。
結果から言うと
僕は金曜日に受験を止めることにしました。
不合格です。
世の中には色々なマサカがありますが
正にこの1ヶ月
様々な「マサカ!」を経験しました。
ここ数年、84歳の母の体力は
やはり年々衰えてきているのは
近くで暮らす僕の目にも良くわかりました。
昭和初期生まれ年代の両親ですから
エアコンは大嫌いです。
でも
もう自分たちで暑いから扇風機を出すとか使うとか
もちろんしまってある扇風機を出してくるとか
そんな体力も温度に対する判断力も弱っていることが
分かったので
今年の5月
寝室と台所にエアコンを設置しました。
その時、母は「こんなの使わない・・」
「自然の風が良い・・」
母にしたら
「余計なものを付けて・・」というオーラを出しているのを
僕はハッキリとを感じた。
認知症の父にも
「こんなの使いたくないから、○○(息子)に良く言って・・・」と
息子とは、僕です。
まぁ僕も多分喜んでくれることは
ないと思ってましたが。
でもこの夏は7月早々から
スタートダッシュで真夏が始まり
猛暑猛暑の連続でした。
日中は寝室とダイニングルーム
(食卓がある台所なんです)
27℃ぐらいの設定で使ってくれていました。
「エアコンは助かる」
と、母の口から聞いたこともあり
良かったかなって思ったのもつかの間。
「寒くなったから切った!」事件が発生!!
マサカ!
だからといって
窓を開ける訳でもなく
当然
僕が気がなって見に行った時には
閉め切った室温は30℃近くに。
30℃近くあるって言うと
「暑くないと・・」
こんなことしたら
熱中症になるから止めるように言うと
一様その場ではわかったように言う。
そして
また次の日も同じ繰り返し。
少しエアコンの生活に慣れてくれたかなと思うと
また切ってしまう。
本当に大人げなく、僕は両親に向かい
真剣に怒ってしまっていた。
とにかくこの夏中
エアコンを切る、切らないで
ほぼ毎日の様に両親とやり合っていた。
7月の後半ぐらいからだろうか
母の食欲がだんだん落ちているのが
目に着くようになっていた。
それと共に
母は少しずつ一日を通し
寝て過ごす時間が多くなっていた。
それでも
この猛暑だから
その方が
イイのかなぐらいに捉えていた。
昼間エアコンを切ってしまうようなことは
なくなっていた。
その頃父に向い
「食欲があって羨ましい」
って口にしていた。
大きな変化が訪れたのは
8月の後半だった。
姉が遅れてお盆休みを取り
8/21日に帰った。
その帰り際に母が姉に向かい
「帰らないで」と
姉も僕も
この母の言葉にどうしたんだ・・って
同じ思いを感じていた。
今までそんなことは口にしたことが無い母。
それから母は日を追うごとに
寝ている時間が目立って多くなり
体力も気力も見る見るうちに落ちて来ていた。
食事も僕が用意した。
でも、用意しても食欲は落ちる一方で
9月に入ると
食事の用意が出来て呼びに行っても
置き上がれなくなってきていた。
そして次第に起き上がることも
トイレに行くことも
大変な状態になっていた。
その時、僕が一番心配していたのは
これでは寝たきりになるだった。
認知症なのかって心配していた。
強い口調で
こんなことしていたら
歩けなくなるから無理してでも起きないと
って、よく怒っていた。
それでも日に日に状況は進み
あのきちんとしていた母が
パジャマに着替えることもなく
昼間のシャツのままで寝ている。
これはおかしい。
着替えももはや1人では難しい状態に
僕が強く言うので
父が手伝って着替えさせていた。
その間何回も病院を受診する様に勧めたが
断られた。
僕が強い口調で言うので
母も「年をとるとそんななんでも思うように出来ない!」
と強く言われたことも。
あの頃は強く言い返す元気も
まだ残っていた。
その間も夜エアコン切る切らないでは
やはり引き続き
やり合っていた。
余りに食欲が無く
寝たきりに近い状態が続いたので
父のケアマネに相談し
とにかく近所の開業医でも良いので受診して
体に悪いところが無いか見てもらうことに。
母にはケアマネさんから
今日中に病院で診てもらうように言われたと
口実を作り
9/3無理矢理納得してもらい近所の開業医へ
一通りの内診の結果
「夏の疲れかもしれないですね」とのこと。
一様血液検査もして
食事が満足に取れていないとのことから
9/3、4日と点滴を受けた。
とにかく動くようにと
医師から言われた。
しかし状態は変わらず
9/6日ケアマネに再度相談し
近所の開業医からケアマネさんの関係する総合病院で
もう一度受診して体の状態を診てもらうことにした。
「そんなのイイ、イイ」と母に言われたが
受診した。
今までの経過を話し
隠れている病気が無いか調べてみると医師のお話。
2011年の肺がんの手術から
レントゲンをとることに。
その後追加でCT撮影。
その結果、肺炎の疑いがあるとのこと。
またその他気になることもあるので
検査も兼ねて入院となった。
これで良い方向に向かうのだろうと
ホット安心したのもつかの間。
マサカ!
病室に入院早々最新の検査データから
結核の疑いもあるとのことで
隔離病棟に移されてしまった。
タンの検査を3日間行い
菌が確認出来なければ面会可能になるとのこと。
3日目に病院から連絡があり
マイナスの結果が出たので
面会が可能になったとの連絡があった。
3日ぶりに会う母は
少々疲れもあるかなぐらいに思えたが
何とか部屋のポータブルトイレにも
移動できているようであったが
37℃台後半の熱が続いているようで心配だった。
9/11日前後に担当医から説明があり
肺炎を疑い肺炎の抗生剤を使ったが
効かないとのこと。
予断を許さない状況も考えられると。
日に日に母の容態は悪化し
熱も上がり、呼吸も苦しくなっていった。
血液検査を続けウィルスの特定を進めているが
現在特定できないとのこと。
再度担当医から説明があり
心臓のエコーを撮ったら予想以上に
良くないとのことだ。
説明によると
心臓に弁にウィルスが侵入して
機能が低下している可能性が高いとの説明。
現状一番疑われるのは「敗血症」とのことだ。
なんとなく名前は聞いたことがあるくらいの病名だが
ネットで調べるとたくさん見つかった。
とにかく一刻も早くウィルスを特定し
それにあった抗生剤治療をしないといけない
時間との闘いの病気だ。
9/13ごろから母の状況は厳しくなり
酸素マスクも使い出した。
9/14日のレントゲン結果
肺全体が白くなり、熱も40℃近くに
現在、心不全、肺炎。
病室も酸素吸入システムがある部屋に
そしてその後9/14日午後ICUに移った。
40℃近い熱の中
母は気丈に孫たちの面会に笑顔を作った。
なんてスゴイ母だ。
涙が込み上げた。
現在もウィルスは特定できていない。
それでも担当医はあらゆる可能性の考え
可能性に賭け抗生剤を試している。
そして9/16日
僕はHSK当日を迎えた。
試験は受けなかったし
受けても合格しなかった可能性も高い。
特に5級に関しては過去問をやってから
余りに出来の悪さから
4級だけに的を絞っていた。
それでも受験日を決めたことで
それに向けて対策は出来たと思う。
少なくとも受験申し込みをしないより
緊張感をもって取り組めたと思う。
だから、受験しなかった後悔はない。
今は母のことで頭をいっぱいにしたいと思う。